第2回 奇妙にもうまくいくスティーブジョブズの人生 | 偉人図鑑

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どうも〜チキン兄さんです!

前回ジョブズさんの人生についてまとめました!

前回の記事をチェックしていない人は是非チェックしてみてください!

第1回 スティーブ・ジョブズ生き方から学ぶ | 偉人図鑑
スティーブジョブズさんの人生について、なるべく簡潔にまとめました。彼ほど有名な起業家はなかなかいません。彼の人生は何か一つは参考になるところはあるでしょう。 起業をしたい方、ビジネスに熱心な方は是非みに来てください。

今回はその人生において大きな出会いだったであろう3人についてピックアップしていきます!

ジョブズの恩師ヒルとの出会い

ジョブズは小学4年生の時に、女性教師のヒルと出会います。

彼女との出会いがジョブズを勉強を好きにさせたと言われています。

あっという間に成績は上昇し、6年生への飛び級が決まりました。後年ジョブズは「ヒル先生やその他の恩師に出会わなければ、間違いなく刑務所に入るはめになっていただろう」と述べています。

さらに、この頃のことを振り返りジョブズは後に、「ほんの子どものころに少しだけ道を正すだけで、その後の人生は大きく違ってくる」と言い残している。

ジョブズにとってこの出会いは人生においてとても重要なものだったと思います。

この頃にヒルと出会わなければ、ジョブズはどんな人生を過ごしていたのでしょうか?

気になりますね。

親友ウォズニアックとの出会い

スティーブ・ウォズニアックはカリフォルニア州サンノゼの生まれで、父はロッキードのエンジニアでした。アマチュア無線の免許を6歳の時に取得、13歳の時にトランジスタを組み合わせて原始的なコンピュータを作り、科学コンクールに優勝しました。

1971年に、16歳のスティーブは友人の紹介で当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと知り合います。

すぐに意気投合した2人はその秋ブルーボックスの存在を知ります。ブルーボックスとは”不正に無料で長距離電話をかけることを可能にする装置”です。

その存在を知った2人はスタンフォード線形加速器センターの図書館で技術資料を見つけ出し、ウォズニアックがなんとオリジナルのブルーボックスを作り上げてしまいます。

これに満足したウォズニアックでしたが、スティーブはこの装置を1台150ドル(当時の日本円で約45000円)で200台余り販売してしまいました。

スティーブはブッシュネルから直々に新製品”ブレイクアウト“の回路の部品減らしを命じられます。

その時も4日も徹夜をして、スティーブの部品減らしを手伝いました。

こうして得たアタリからの報酬をウォズニアックと山分け、受け取った700ドル(当時の約21万円)のうち350ドルをウォズニアックに渡します。

さらに二人はAppleを設立しました。

世界初のパーソナルコンピュータであるApple Iと、キーボードやメモリ、CPU、画像出力装置、外部記憶装置、音声出力装置とのインターフェース、プログラム言語などのオールインワンパッケージ化を可能にした最初のコンピュータであるApple IIの開発を1人で成し遂げたのもスティーブ・ウォズニアックです。

ウォズニアックは正直にいうと天才です。しかし彼は経営には興味がありませんでした。

エンジニアとして働き続けること。それこそがウォズニアックの信念だったのです。

ジョブズはカリスマであり、セールスマンであり、革命家でした。世に新しいニーズを創出することを追求するジョブズがいたからこそ、ウォズニアックは世界最高のエンジニアになれました。

一方で、天才エンジニアのウォズニアックがいたからこそ、ジョブズは世界一の製品を世に出せたのです。

生涯のライバルであったビルゲイツ

AppleとMicrosoftは競争関係にありましたが、両社の共同創業者どうしは、良きライバルでありながらお互いを認め合う関係でした。

一時はMacintoshの革命的なグラフィカルユーザーインターフェースをWindowsが盗んだと言われ、二人の仲は最悪となりました。

ゲイツは、「スティーブ、視点を変えてみたらどうだろう。どっちかっていうと、近所にゼロックスって名前の金持ちの家があって、僕がTVを盗みだそうとしたら、きみがすでに盗んだ後だったってことなんじゃないか」と皮肉を込めて言いました。

ジョブズはビルゲイツのことを恥知らずや退屈などと罵り、ビルゲイツはジョブズを変人や人間として欠陥があるなどと非難しました。

お互いの製品についても二人とも評価していないと公言しているほどです。

しかしジョブズがAppleをクビになった後、Appleは経営の危機に陥ります。

しかし、ジョブズが復帰するとAppleは経営を取り戻します。

そして、ビルゲイツ氏はジョブズのことを「彼のようなことは僕にもできないし、他の誰にもできない」と賞賛しています。

さらにジョブズも「彼が作り上げた見事な会社のことを思うと、彼を素晴らしいと思う。一緒に仕事をするのは楽しかった。彼は聡明で、実はいいユーモアのセンスを持っているんだ」と発言したそうです。

彼らはお互いを罵りあいつつも、お互いの存在があるからこそ高めあえたと心の中では思っていたのだと思います。

ビルゲイツのマイクロソフト社がなければ、ジョブズがここまで上り詰めることはなかったのではと思います。

スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツは同じ1955年生まれであり、同じ歳にこの二人の天才が生まれるのは、偶然のようには思えませんよね。

まとめ

今回は特に重要だと思った3人をピックアップさせていただきました。

しかしまだまだジョブズには大きな周りの支えがありました。

人を惹きつける魅力があるのもジョブズの一つの才能だと思います。

最後に

Being the richest man in the cemetery doesn’t matter to me… Going to bed at night saying we’ve done something wonderful… that’s what matters to me.

墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。

もちろんジョブズさんの名言です。

ジョブズはお金を得ることではなく、世の中を革新的に変えることを目標に進んできました。

そういった目標を曲げなかったからこそ、周りについてきた人もいたのだと感じています。

皆さんも自分の目標を持って頑張りましょう!

ではまた!

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