【解体新書】孫正義 | 日本一の成功者の壮絶な人生 | 偉人図鑑 #22

令和の教科書
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孫正義とは

孫正義は在日韓国人の次男として生まれた。

通名として「安元正義」と名乗っていたという。

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孫正義の人生を変えた一人の男

孫正義はある男と出会った。

現代でも伝説として語り継がれる「藤田田」という人物だ。

彼について簡単に説明すると、日本マクドナルドを画期的な方法で普及させたことで一躍有名になった。

孫はこの男の「ユダヤの商法」という本を読み、彼に会うことを決めたという。

この頃の彼に有名な藤田田に会う方法などなく、直接会いにいき続けた。

最初は断っていたものの、藤田田は徐々にその姿勢を崩し始めた。

そして孫の諦めない姿勢が藤田田と話す機会を生み出した。

そしてこう言ったという

「藤田田さん、私はアメリカに行こうと思います。そこで何を学べばいいですか?」

そして藤田田ははっきりとこう言ったという。

「コンピューターを学んできなさい」

この一言が孫正義の人生を大きく変える事になる

そしてアメリカへ

アメリカへ行くことを決めた孫だが、そうそううまく行くわけもない。

アメリカの入学試験の問題が英語ということもあり、孫は問題が理解できなかったのである。

そして試験官にこういったという。

「私はこの問題は解ける。しかし、英語がわからない。だから辞書を使わせてほしい。そして辞書を引く時間を追加してほしい。そしたら必ず解ける。」

こんな言い分が通るはずがない。しかし、孫は主張し続けた。

そして見兼ねた試験官は上司に相談し、その上司がまた上にといった形で州知事まで相談が行くことになる。

そして、自ら州知事と話し、交渉を成功し試験に合格。

在学中に孫は一つの偉業を成し遂げる。

それは「自動翻訳機」の開発だ。藤田田にもらったアドバイスをもとに彼はしっかりとコンピュータを勉強し、開発したのである。

そして、自動翻訳機をソニーに売却後、孫は起業を決意する。

孫はユニソンワールドという会社を設立し、インベーダーゲームを日本からアメリカに逆輸入という形で普及させた。

そしてこれもまた成功し、ついに日本に帰国する。

Softbank設立へ

一人の天才が日本に帰ってくる。そして誰もが知っている「Softbank」を設立するのである。

Softbankの展示会では、資本金の1000万円のうち、800万円を使い大々的に宣伝。

当時のSoftbankはソフトウェアを売る会社だった。

孫は当時アメリカで急成長をしていたYahoo!に目をつけ、Yahoo! JAPANの設立を狙っていた。

ここでも孫の交渉力が爆発する。他にも狙っていた大企業たちを押し除け、3ヶ月での設立というプランを提示し、もぎ取ったのである。

そう。Yahoo!が求めていたのはスピード感だったのである。

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ネットバブル崩壊

ここで孫の人生にピンチが訪れる。

ネットバブルの崩壊だ。株価はみるみる下がり、ITの時代は終わりだとまで言われた。

そこで、孫はNTTにすぐ目をつけ、NTTが日本の通信業界を悪くしていると総務省に駆け込んだ。

ここでも交渉力を生かし、Softbankは通信業界に参入した。

さらに、投資にも積極的に目を向け、中国の新興企業であるアリババと事業提携を行うなど、投資家の側面でも注目を浴びた。

スティーブ・ジョブズとの出会い

藤田田の次に孫に影響を与えた人物はスティーブ・ジョブズと言えるだろう。

スティーブ・ジョブズと会い、話をした孫はiPhoneの存在を知る。

そして、iPhoneの独占販売に向けて、社をあげて動き始める。

iPhoneの独占販売に成功した孫はSoftbankを日本一の企業にまで押し上げて行ったのである。

まとめ

孫はこういっている

「最初にあったのは夢と根拠のない自信だけ」

果てしない夢と自分を鼓舞する自信、それこそが彼の原動力になり、成功の根源なのかもしれない。

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