第4回 天才ビルゲイツの人生徹底解説 | 偉人図鑑

令和の教科書
スポンサーリンク

どうも〜チキン兄さんです。

パソコンやインターネットは今では生活に必要不可欠になっています。Windowsを知らない人は今ではいません。

今回は時代を大きく変えた天才ビルゲイツについて説明していきます。

ビルゲイツの人生

誕生から小学校時代

1955年10月28日ゲイツはにシアトルで生まれる。

父は弁護士、母は元教師という裕福な家庭に育つ。

IQが160だったといい、優秀な成績で小学校を卒業した。聖書を暗記したこともあり、周りを驚かせたこともあった。

裕福な家庭だったが、自分のことには一切お金を使おうとしなかった。

中学高校時代とコンピュータとの出会い

1967年、シアトルの私立レイクサイド中学・高校に入学した。

レイクサイド学校とは、成績優秀な子供が集まる名門校である。

この学校でビルゲイツは初めてコンピューターと出会うことになる。

初の出会いはコンピューター室で数学の授業で使われている電話線で接続するコンピューター出会った。このマシンは「ゼネラル・エレクトリック社」の「GE-635」という物だった。

このマシンにビルゲイツは心を奪われていく。

そしてこの「GE-635」に熱中していたもう一人の男がポールアレンという人物であった。

彼はのちにMicrosoft共同創設者となる人物でもある。

これが二人の最初の出会いであった。彼らはすぐに意気投合し、ゲイツは私立レイクサイド・スクール在学中に13歳でコンピュータプログラミングを始める。

アレンはプログラミング言語の中でも簡単なアセンブリ言語を扱えるようになり、ゲイツはそれより簡単なベーシックを扱えるようになる。

しかし、「GE-635」はゼネラルエレクトリック社から時間借りをしていたため、かなりの費用が発生していた。

その頃にDECのPDP-10への接続サービスを開始する会社「コンピューター・センター・コーポレーション」があり、夜間と週末にコンピュータをゲイツに無料で使用させ、負荷耐性のテストを行っていた。このおかげでゲイツたちはコンピュータを自由に使えるようになる。

しかし、1年と数ヶ月後にその会社は倒産してしまい、ゲイツがコンピュータに触れる機会を失うも、ゲイツとアレンはすでに技術を身につけていた。

1970年にインフォメーション・サイエンス・インクという会社からCOBOLでの給与計算システムの作成を請負い、開発費の代わりにPDP-10の使用権利を手に入れた。

高校生になり、高校の先輩で、ワシントン州立大学の学生だったポール・アレンと「トラフォデータ」という名前で交通量計測システムを作成しようとしたが、大きな利益をあげることはできなかった。

大学時代

さらに、ゲイツはバーバード大学に入学し、30年間解決されなかった数学の「パンケーキ問題」を解決したり、登録した講義には出ずに他の講義を聴講していたにもかかわらず試験はすべて「A」を取っていたりと、その才能を遺憾なく発揮していた。

また、ゲイツはポーカーにものめり込み、一晩の勝ち負けが1000ドルに達することもあった。

のちにゲイツはポーカーでの駆け引きは人生に大いに役立ったとも語っている。

1974年、大学を休学し、コンピュータ関係の仕事をしようと考えていたアレンから「アルテア8800」の記事が載っていることを教えられ、ゲイツとアレンはアルテアを動かすBASICソフトを作成することを思いつく。

アルテアを販売していたMITS社に「BASICソフトを開発中で、もうすぐ完成する。伺ってお見せしましょうか。」とまだ着手もしていない状態で電話をかけ、MITS社長エド・ロバーツは「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する」と答えた。

ゲイツとアレンはアルテアの実機を持ってなく、アレンはハーバード大学に置いてあったPDP-10でアルテアをエミュレートするプログラムを先に作り、これを使ってBASICソフトの開発を行う。

8週間の決死のプログラムの結果、MITSでのデモに成功し、1975年アレンはMITSの社員となる。

マイクロソフトの設立

1977年にゲイツは卒業が迫る大学を休学し、ゲイツとアレンの間で「マイクロソフト」として正式にパートナーシップによる経営として契約書を交わす。

「マイクロソフト」はMITS以外からも依頼を受けマイコン向けにBASICソフトを開発するようになる。

1979年 ワシントン州のベルビューに移転

1980年 IBMから依頼を受け、OSの開発を行い、「MS-DOS」を世に送り出す。これで大きな利益を得ることになる。

マイクロソフトはOSの世界標準を獲得。

1981年6月25日ワシントン州の法人企業となり、ゲイツは社長兼会長アレンは副社長になる。

1984年「Apple」がGUI(Graphical User Interface)搭載のパソコン「Macintosh」を発売する。

これを機に「GUI」が世界標準として注目されていく。

IBMとの対立

IBMも次世代OSに注目していた。IBM、マイクロソフトでの共同開発することになる。

IBM Operating System 2(OS2)の開発へと向かっていく。

1985年にWindows1.0を発売するも、不評。

1986年:Microsoftの株式を公開。本社をワシントン州レドモンドに移転。この年に日本法人を設立。

1987年Windows2.0を発売。IBM Operating System 2の開発にも成功したが、CUI搭載だったため、GUIをマイクロソフトは重視していたため、IBMと対立し始める。

自社開発路線へと切り替える。

Windowsの大ヒット

1990年、Windows 3.0を発売し、大ヒットする。

1992年、マイクロソフトはWindows 3.1を発売し、1億本を超える大ヒット。

1994年1月:Microsoft社員のメリンダ・フレンチさんと結婚。後に3人の子どもをもうける。この年、Forbes誌の世界長者番付で初めて1位に。以後連続で1位の座を獲得。

1995年Windows95を発売し、世界的大ヒット。

退任へ

2000年:CEO職をバルマー氏に譲り、チーフソフトウェアアーキテクトとしてソフト開発に専念。ビル&メリンダ財団を設立。

まとめ

どうでしたか?

マイクロソフトも最初から成功したわけではなく、「GUI」に目をつけられたビルゲイツのおかげでもあります。

もし、IBMがCUIではなく、GUIを重視していたら今のコンピュータはもっと違う形だったかもしれません。

ビルゲイツはスマホのOS開発に乗り遅れたことを後悔していると言っています。

顧客の求めるものを先読みする力が、いかに、重要かがわかりますね。

また、ビルゲイツについてあげていくのでよろしくお願いします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました